魔法少女リリカルなのはStrikerSに思う(目次)■『リリカルなのは』が『魔法少女』である理由さあ、おおきく振りかぶっていきましょう(笑)。ただいま、『SECRET AMBITION』をヘビーローテーション中です。いやもう、名曲ですよー。
長文・駄文なので、暇で暇で死にそうな人だけ読んでください。
さて、いまさらのように書きますが、私は第1期シリーズをあまり評価していません。『A's』が始まるとき、「こんな駄作の続編で、いまさら何をやるのか」とか「第1話だけ見て、すぐ切る」とかコメントしてたくらいです。そんな私が、『A's』を「2005年度の最も面白かったアニメ」に挙げているのですから、世の中は面白いものです(笑)。
私が無印を評価していないのには、大きく3つの理由があります。
ひとつは、全体のバランスが悪かったことです。1クールでやるにはテーマが重く、そのわりに無駄な描写が多くてストーリーが収まりきっていない、キャラクターを描ききれていないというバランスを欠いた構成に、非常に不満を感じていました。とにかく、「かゆいところに手が届かない構成」に、かなりイラついてました。
2つめは、これは完全に個人的な好みの問題ですが、「魔法少女」を標榜し、バトル系魔法少女作品にありがちな「絶対悪」を設定しなかったにも関わらず、最終的にプレシアを助けられなかったことです。人を助けることこそ「魔法」の根幹であり、ひいては「魔法少女」の基本理念ではないかと、私は思うんですね。たんに戦う道具として魔法を使うのであれば、それはジャンプ系作品(最近はサンデー系かな?)に任せておけばいいわけで、「魔法少女」を標榜するなら、「愛」とか「希望」のような基本線を踏襲してほしかったわけです。さらに言えば、敵であるフェイトとの「友情物語」というテーマを持たせておきながら、一方でプレシアを救えなかったという展開は、明らかに結末として片手落ちではなかったかと思います。
そして3つめの理由は、序盤の展開を見て、バトル系魔法少女の正常進化形としてこの作品に多大な期待を抱いていたにも関わらず、上記のとおり期待を裏切られてしまったことです。
実際、私はこの作品にかなり大きな期待を持っていました。最初に「駄作」とか書きましたが、じつは放送終了後、番組宛におそらく最初で最後になるだろう作品感想を送りつけたんですよ。無印は、それくらい期待と落胆の大きい作品でした。
そして『A's』なんですが、なぜこの作品を評価しているかというと、簡単に言ってしまえば、上記の不満が全て解消されていたからです。
ストーリーは、簡潔にして明瞭。1クールという身の丈に合った展開は、キャラクターや背景描写も概ね不足無く、「絶対悪」が存在しない展開でキャラクター同士のせめぎ合いが演出される中、ひたすら「約束されたハッピーエンド」へと向かうドライブ感が何より心地よかったです。無印ではぶれぶれだった作品コンセプトも、非常にわかりやすい形で固定され、不安を感じる点がほとんどありませんでした。日常や脇キャラの描写が激減したという副作用もありましたが、1クールという尺の中で割り切った、一種の「選択と集中」と考えれば、極めて妥当な判断だったと思います。
エンタテインメントの基本要素は、「簡潔なテーマ」「わかりやすいストーリー展開」「約束されたハッピーエンド」だと思います。『StrikerS』は『A's』と同じ草川監督なので、こうした基本コンセプトがぶれることは無いと信じています。
ところで、『StrikerS』を語る上で、ひとつ『魔法少女プリティサミー』の例を挙げておきます。『プリティサミー』は、今日の『リリカルなのは』に連なるバトルを中心とした魔法少女作品の中で、重要なメルクマールとなる作品だと思います。
まず、「普通の女の子が、魔法を使って敵(戦うべき相手)と戦う作品」を「バトル系魔法少女作品」と定義します。この場合、『カードキャプターさくら』なども含めたほぼ全てのバトル系魔法少女作品は、敵が出現してから魔法少女が誕生しています(これは、『なのは』第1期も例外ではないですね)。ところが『サミー』は、「とりあえず良いことをする」という極めて抽象的な理由でプリティサミーが誕生し、これが引き金となって敵であるピクシィミサが誕生するという逆転現象が起きています。
この事実が示すのは、「プリティサミーは戦うための魔法少女ではなく、良いことをするための魔法少女である」ということなんですね(もう少し突っ込んで書くと、サミーは「ミサが悪い魔法少女だから戦う」のではなく、「ミサが悪い魔法少女」だから「悪い魔法少女を倒すのは良いこと」なので「ミサと戦う」わけです。『サミー』を語る上で、このステップを無視してはいけません)。事実、『サミー』の根幹テーマは、「魔法があってよかった」という台詞に表現された「魔法で人を幸せにするためのお手伝いをする」というものです。これはむしろ、「恋愛の成就」や「夢を叶える」といった伝統的な魔女っ子作品に近いコンセプトです。
ここで、『StrikerS』に話を戻します。今回もなのはが主人公であるとしつつも、実質的にスバルが主人公格のキャラクターとして登場しました。スバルは、なのはに救助された過去から、人を助ける仕事に就きたいとして管理局の魔導師を志願しました。要するに彼女は、明確な敵が居てそれと戦うためではなく(背後にレリックというロストロギアが存在しますが、空港事件との関連性はあとから出てきたものなので、ここでは考慮しません)、人助けをするために魔法少女(スバルを「魔法少女」と呼ぶことには、抵抗感を否定できないのですが……)になったということです。これは、前述の『サミー』に近い導入になります。
要するに何を言いたいかというとですね、ことさらアクションシーンが取りざたされる『なのは』シリーズではありますが、その本質は「熱血魔法バトル」なんかではないと思っています。むしろ、「敵」が絶対悪ではなく、共に戦う者同士だけでなく敵とさえも心を通じ合わせ、最後にかけがえの無い仲間になるという過去2シリーズのコンセプトが示すとおり、魔法によって築かれた友情や家族愛(今回は師弟愛とか?)というハートフルストーリーだと思うわけです。
blogなどを見て回ると、「『リリカルなのは』は、もはや魔法少女ではなくなった」という意見を多く見かけます。たしかに、これだけアクションを前面に出してくれば、そう感じてしまう部分もあります。
ですが、私個人の感覚を言わせてもらえれば、『なのは』におけるバトルはひとつの要素にすぎず、その本質は、「魔法が存在することによって作られる人と人との繋がり」ではないかと思うわけです。敵が居るから、敵を倒すんじゃないんです。魔法が使えるから、魔法の力で人を助けるんです。それは、敵が居ようが居まいが関係無いんです。
『StrikerS』においては、スバルの登場が「敵」の存在を前提にしておらず、過去2シリーズ以上に上記のテーマがはっきりしているように感じます。だからこそ私は、『魔法少女リリカルなのはStrikerS』がバトル系魔法少女作品の正常進化形として、また新たな一面を見せてくれるのではないかと、おおいに期待しているわけです。
まあ、多分にこじつけだってのはわかってるんですけどね。それでも、期待をせずにはいられないんですよ(笑)。