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「一億総クリエイター」という勘違いに至る道のり

この手の話を聞くたび、個人的には「コンテンツをやってる人たちは、何か誤解してるんじゃないだろうか?」と思うことがある。コンテンツが何か「特別」なものとして語られているような気がしてしょうがない。

曰く、コンテンツはその歴史の中で、「作り手」と「受け手」に分離され、その間に「流通」や「放送」が絡むようになってきた。……正直、野球や将棋と何が変わるのかがわからない。
野球や将棋はひとつの「ゲーム」としてスタートした。やがて、野球や将棋に「プロ」が誕生して、「試合」というコンテンツを作り、メディアを通して受け手にコンテンツが供給される形に推移した。これは、音楽や映像となんら変わるところが無い。
一方、CGMの発展によって、コンテンツを作り出すアマチュアが増えてきたという事実はどうか。それだって、プロ野球を見て憧れた少年が草野球を始めるのと大差が無い。「CGM」という場が、家族なのか地域なのか、あるいはネット上なのかという違いだけで、その本質に大きな差があるようには思えない。

「一億総クリエイターなどは、ただの幻想である」とは言うけれど、それはたんに捉えかたの問題で、何もそこで生み出される「コンテンツ」が「商業物」である必然性はどこにも無い。少年野球の野球技術は稚拙だが、野球に汗を流す少年たちを見て「彼らは“選手”ではない」と言えるだろうか。彼らが一流プロになるまでには嘆息するほどの時間がかかるが、それは無意味なことだろうか。どれほど稚拙なコンテンツであろうと、それを生み出す人たちは紛れも無く「クリエイター」だと思う。そして、こうした草の根的クリエイターが存在するから、文化が成立するという側面もある。
なぜ野球が国民的スポーツとして親しまれているか、なぜサッカーが世界的に愛されるスポーツなのか。それはひとえに、幼い頃からそれらに「クリエイター」として慣れ親しみ、優秀な「作り手」と「受け手」が継続的に輩出されているからに他ならない。こうした「担い手」のピラミッドを構築できない文化は、しょせんマイノリティの文化にしか成り得ない。
その上で、「むしろその成果物そのものを売ろうとするよりも、個人でクリエイターとして立って行く能力があり、そのつもりもある人間をゲットする場、もしくはそういう人間を育成する場として方向づけたほうがいい」という意見はあたり前すぎて、何をいまさら……という感じがする。他の文化は、それらを今まであたり前のこととしてやってきたのだから。近年の「コンテンツ」という新たな文化は、ようやくスタート地点に立っただけのこと。
そのはずなんだけど、なぜか「コンテンツ」だけは特別視されて、CGMの登場でものすごいパラダイムシフトが起こっているかのように語られるのが、個人的にはどうにも気持ち悪くってしかたない。

「一億総クリエイター」って、そんなに特別なことなんだろうか?
2008.12.01 Mon l 雑談 l コメント (2) トラックバック (0) l top

コメント

たぶん初コメントです。
実はリリなのStSの頃から見てましたが(笑)。

いつも考察が深い(自分と視点が違うだけかも……)ので、たまに現れるこういう記事を楽しみにしてます。

また忘れた頃に覗きにきますが、更新頑張って下さ~い。
2008.12.08 Mon l シロシェ. URL l 編集
どうもです。

>シロシェさま
ありがとうございます。
基本的には思いつきで寝言を書いているようなもので、いい感じに読み流していただければと思います。けっこう、仕事に疲れたときの暇つぶしだったりしますので(笑)。
2008.12.08 Mon l MyS. URL l 編集

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