この考察はフィクションです。マジツッコミは厳禁です。
先日、何気なく「
萌えの記号化」というフレーズでググッてみた。……まあ、そんなフレーズを何気なく検索している時点でどうかとは思うのだが、それはそれとして、いろいろと「萌えの記号化」に対して懸念なりを抱いているらしき意見を読むことができ、なかなか興味深かった。
……と、ここではたと考えた。そもそも、「記号化されない“萌え”」などというものが成立し得るのだろうか?
“萌え”という言葉は、それはもう様々な意味で使用されている。時には人物そのものであったり、あるいは行動や場面であったり、アイテムや体の一部分、性格、言動であったりする。“萌え”という言葉が指し示す対象は、実に幅が広い。
ただ、共通的に言えることはある。どれも、“萌え”と表現した当人が何らかの衝動的な情動を感じているという事実だ。そして、それらの細かな説明や表現を省き、感情や嗜好を端的に言い表した語が“萌え”なのではないだろうか。
私が“萌え”という単語に初めて出会ったのは、おそらく1994年。NIFTY-Serve(現@nifty)のアニメフォーラム『赤ずきんチャチャ』会議室だ。当時、会議室の参加者のひとりが、初めて“萌え”という表現を使った(ちなみに、ちょうどそのとき、『美少女戦士セーラームーンS』が放送中であり、この作品に登場する「土萠ほたる」が“萌え”の語源だという認識がすでにあった)。
ところで、当時の“萌え”の使われかたは、お気に入りのキャラクター自体やその言動に対するものが主であり、あくまで「このキャラクターが好きだ」というひとつの表現手法でしかなかった。
細かな説明を省いた“萌え”という表現は、しだいに同じキャラクターへの嗜好を共有するファンにおける“共通認識”となっていった。すなわち、対象となるキャラクターのどこに魅力を感じているかという表現を、全て“萌え”という表現に置き換えるようになっていったわけだ。
こうした“萌え”の概念の広まりに、おそらくパソコン通信やインターネットが大きく影響していることは否定できないだろう。つまり、こうしたコミュニティーの中で互いの趣味嗜好を交感するにおいて、何がしかの“共通語”が必要となってきた。そのとき、オタクたちは“萌え”という語を発見したのだと思われる。「このキャラのここがこうだからこのように好きだ」などと説明すると、同じような魅力を感じている同士でも細かな認識の差異が発生する。それよりも、“萌え”という表現でそうした細説を包含してしまえば、「好き」という感情をダイレクトにコミュニケートすることができる。これは、文字でのみ意思交感が行われる文化において、重要な手段のひとつである(こうした流れを、「表現力の欠如」として嫌う人が居るのも事実であるが)。
→中編へ続く
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じゃぁツッコムのやめておきます(笑)